母の逝った時のことは、本当に忘れてしまいたい時間なので、書くことが出来ませんでした。
ふとした瞬間、涙がぽろぽろとこぼれてしまう日が、ずっと続いています。
お世話になった方に、何枚か「サンキューカード」 を、書きました。
自分の両親を亡くして、たくさんのアドバイスをくれたタイの友人が、電話で励ましてくれました。 「まだ、お父さんがいらっしゃるんだから。」 と。
叔母さんも、電話下さいました。 「魂は不滅だから、お母さんは、側におってんよ。」 と。
先日、大好きな従姉妹のお姉さんから、お手紙が届きました。 小さな頃いっしょに遊んで、長い間あまり逢っていませんでしたが、告別式で手を取ってもらいました。 ご両親が亡くなった時の様子などを書いた便箋を7枚、読み終わって、最後の日の事を書こうを思いました。 ありがとう、佳子姉ちゃん。
5月17日の夜。 18日、最後の日。
母は、ずっと、息をしていました。 ものすごく一生懸命に、息をしていました。
点滴を止めていたので、むくみもなくなって、手も足も体も顔も、骨に皮が付いている様な、ミイラの様な、そんな状態でした。
でも、息をしていました。 病室に、母がハアッハアッハアッハアッ、と息をしている音だけが、聞こえていました。
担当のお医者様がいらして、「明日、出張で出かけるので、お母さんをお見送り出来ないかもしれません。 すみません。」 と、謝られました。 「充分お世話になりました。 ありがとうございます。」
夜が来て、簡易ベッドを2個借りてきて、みんな病室にいました。 横になって、仮眠をとったりしながら、母の側にいました。
長い長い時間が、過ぎていきます。
おかあさん、なんでこんなに頑張るの、人間てそんなに死ねないものなの。
ずっと、「お父さんより、1日だけでもいいから長く生きたい。」 と言っていたけど、入院してからは、「お父さんの事も、誰の事も、もう、なんにも、心配してないから。」 と言いました。
苦しそうに、懸命に息をする母を見ながら、私が 「逝かないで!」 って泣いたから、母が逝けないのかも、ごめんなさい。 苦しいよね、逝ってもいいよ。 頑張らなくても、いいんだよ。 と、何度も手をとりました。
あきらかに呼吸が弱くなったのは、明け方の4時前でした。
急いでみんな、ベッドに駆けよりました。
そして、だんだんと静かに、いつのまにか、
息は止まってしまいました。
父が、
「18日じゃ、観音さんの日じゃあ。
お母さんは、ほんまに 観音さんの生まれかわりじゃったんじゃのう。」 と言いました。
明け方4時だったのにかかわらず、「ちょっと遠い所に住んでいらっしゃるので、1時間位かかります。」 と、先生を呼んで下さいました。 お忙しいのに、遠いお宅からわざわざ、申し訳ない。 でも、先生に看取っていただけました。 本当に本当に、ありがとうございます。
その日に、家に連れて帰り、仏間に横にしました。
親交のあったお坊様がいらっしゃって、
「お母様は、五穀を断って肉体を枯渇させ骨と皮になって即身仏になられた方の様な、理想の亡くなり方で、見習いたいものです。」 とおっしゃられました。 ありがとうございます。
母が逝ってしまってから、何日も、食事してなかったり、あまり眠ってなかったりした事を、思い出しました。 お腹も空きませんでしたし、眠くもありませんでした。 いつも昼寝ばかりしている姉も、「眠くないから」 と言って、ずっと起きていました。 人間は、そんなに食べたり寝たりしなくても、大丈夫なんだなー。 と思いました。
食べたり、寝たり出来るようには、すぐになりましたが、まだ、本を読んだり映画を観たりすることはできません。 もうすぐ、出来るようになると思います。
夕べ、鏡をじっと見ていたら、ずいぶん年を取った自分がいたのですが、あっ、「お母さんがいる。」 とわかりました。 ・・・私は、母の顔をしている。
母は、私の中にいました。 だから、逝ってしまってからは自分が無くなった様な、深い喪失感があったのですね。
母は私でした。 私の中につながっているのだから。
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お母様のご冥福をお祈りいたします。ゆっくり休んで優しかったお母様の事思い出してあげてくださいね。看病お疲れ様でした、お母様は大事なご家族に見送られてお幸せだったと思いますよ。
私の息子(23歳)が闘病中です。弱音ひとつ吐かない苦痛を解ろうとお邪魔していま す。肉親の痛みは我が痛み辛いですよね、健康に産んであげられなかったと自分を責める日々です。
猛暑が続いておりますのでご自愛くださいね。
ありがとうございます。
うちの一人娘も、今年23歳になります。
ちいさい時は喘息がひどく、保育園もお休みばかり、アトピーもひどく、顔はいつも膿だらけ、自宅で看病しながら出来る仕事を、と思って始めたのが、この雑貨屋さんでした。
子供を育てて、本当に苦しかったから、自分の様なお母さんや、たくさんの人が、雑貨を見て、楽しくなって、ちいさな幸せを感じてもらえれば、嬉しいと思いました。
まだ、ネットも無かった時だったので、少しでもいろんな情報を共有できれば、と思い、ちいさな情報誌も作っていました。
子供が元気だったら、働きに行っていたと思います。 全然、良いお母さんじゃなくって、後悔ばっかりですが、娘は、私を選んで、産まれてきてくれたのだと思います。
息子さんも、きっと、由美子さんを選んで、産まれてきたのだと思います。
良いお母さんになるのは、とても難しいのですが、良い生き方が出来れば良いな、と良い生き方はどんなんだろう、と思っています。
息子さんの苦痛が少しでも和らぎます様、早く元気になられます様に、お祈りいたします。
子どもが同じ年齢のこと、がん治療のこと、息子の自宅(江戸川区)から近い?ことなど、お話をしたいと勝手に親近感をもってしまいましたお許しくださいね。
昨日抗がん剤治療(2週間おき)で受診しインフューザーポンプにて帰宅、3日目自宅で針を抜きます。副作用で一週間以上体調不良が続き回復したところでまた受診、治療です。
昨年就職したばかりでしたが、1月に大腸がん肝臓転移の診断、2月手術腹膜播種、4月退院自宅治療休職中です。本人がいちばん辛いのですが諦めず見守る事しかできません。
私も、子供が同じ年齢ということで、気持が近く感じます。
それも立派に就職されてからの出来事に、悔しいお気持ちと察します。
子どもが辛い思いをしていると考えるだけで、自分もそれ以上に傷ついてしまいますよね。
子どもが頑張ってると考えるだけで、自分も頑張れる気がします。
息子さんが戦っていらっしゃるなら、前を向いて生きていける気がします。
父も大腸癌で転移があり、何も食べられない状態でしたが、手術後、母のお手製のジュースと懸命の看病で、今は普通の状態で過ごせる様になっています。
由美子さんも、回復を信じて、見守ってあげて下さい。
できれば、少しでも楽しい事がたくさんありますよう、だんだんでも体が回復されます様、お祈りいたします。
お家が近かったらそちらのお教室にお邪魔してると思います
手作りが好きなものですから・・
今はまだ何も手につきませんいつも自分に渇を入れ襟をただしています
毎回お返事ありがとうございます
長沼さんのお優しい気持ちがとても嬉しい です
感謝です
なにもしたくない時は、何もしなくていいと思います。
暑くてお店も暇なこの頃、私もレジ裏の冷房でひんやりした床に、時折倒れこんで眠っています。 毎日とても眠く、お腹が減ります。 でも、こんなちいさなお店でも、楽しみにして貰えるので、頑張っています。
母が入院するまで、84歳になっても、お店をやっていた気持が、ようやくわかる様になりました。 良いお店だったと、思います。
手作りは楽しいから、また、やりたくなる日が来ると思います。
ブログを見て頂いている方にも、手作りの楽しさが伝わると嬉しいです。
従姉の佳子より
18日は観音様の日なのですね。本当に観音さまのようなお母さん(叔母)でした。
生老病死…いろんなことを思いめぐらしています。
両親が亡くなった時、自分が倒れちゃいけないからと無理して口にした食べ物が、まるで砂をかむような気がしたことを思い出しました。
お母さんは、三姉妹をとても自由に育てられていると昔から感じていました。あの年齢で、田舎の環境で、すごい母親だったと思います。
三人それぞれが、自分を大切に、幸福を感じて生きてほしいと思われていたと思います。時間はかかるけれど、ゆっくりと、元気になっていって下さいね。
素敵なお店の様子、遠くて行けないけれど、ブログで楽しませていただきます。
佳子おねえちゃん。
お手紙、ありがとうございました。
長い間、逢ってなかったけど、ちいさい時に遊んでもらってとても楽しかったです。 妙ちゃんもお姉さんも、お母さんになっても面影が全然変わってなかった。 懐かしかったです。
道子叔母ちゃんは、早くに逝かれたので、若くて美人な印象しかないのですが、母は、いつも叔母さんに感謝していました。 いつも気さくで優しくしてもらって、私も大好きで、本当に素敵な叔母でした。
叔母さんの告別式から帰ってきた母が、「妙ちゃんが泣いて泣いて、可哀そうだった。」 と話していました。 自分も泣きながら、その事を思い出しました。 大人なのに、恥ずかしかったのですが、お姉ちゃんに 「泣いてもえんよ。」 と言ってもらい、嬉しかったです。 (子どもみたいです。)
ありがとうございました。
お母様のご冥福をお祈りいたします。
最期の時を緩和病棟で看取られたとのこと・・・皆さんに囲まれ、幸せに静かに息を引き取られたのでしょうね。
誰しも来る最期の時をそうして過ごされ、そしてこのブログで振り返る。
そうした時間の中で、心を落ち着かせていくのでしょうか・・・・
私はまだ両親が健在ですが、最期は後悔の無いよう、時間を過ごせればいいと改めて感じました。
最近の暑さは、尋常じゃないです。お疲れが出ませんように、ご自愛くださいませ。
ずっと見守っていただいて、ありがとうございました。
緩和病棟では、スタッフのみなさんに本当に良くして頂きました。 とても感謝しています。
数年前、タイに行った時、両親を亡くした友人に、その喪失感が辛く何もする気にならない。 もっと頻繁に両親に逢うようにと、叱咤激励してくれました。 その事が無かったら、潔くお店を閉めて、広島に通えなかったと思います。
お店でも、ブログを見た若いお母さんに、両親を大切にしようと思った。 と言ってもらいました。
なにものにも代えられない、大切なご両親です。 どうかご一緒に、楽しい時間と思い出を、少しでも多く作ってくださいね。
埼玉もすごい (毎日、救急車がサイレンを鳴らして、何度も走っていきます。) のですが、広島も暑さがすごい様ですね。 熱中症に気を付けて、お過ごしください。
小さなサンキューカードから、秀美ちゃんが近くなりました。
大好きだった叔母ちゃんの病気のこと、逝かれたときのことがよくわかります。
秀美ちゃんとは、子供のころ遊んでからは、かわいい雑貨屋さんんをしているのよとお母さんから聞いてはいたもののご無沙汰ばかり。お店を始めるいきさつも、ブログで知ることができました。
いろんな方がブログにコメントをよせてくださるのね。
優しさが漂っているのを感じます。
お店があって、お客様との交わりがあって、ブログでつながることもできて、よかったね。手紙にも書きましたが、お母さんもお店をしながらいろんなことを乗り越えられてきたように、秀美ちゃんもお店をしながら笑顔になって下さい。
佳子姉ちゃん。 ありがとう。
母は実家が大好きで、実家のみんなも大好きで、お墓参りでは、いつも気さくに寄せて貰って喜んでいました。
父は、母の新盆までに、ちいさなお墓を作るつもりだと言っていました。
仏舎利塔も、今年で15周年のお祝いを、10月にするそうです。
奥の奥の田舎ですが
(母は最初に三次から行った時、あんまり奥の方で寂しくて、何度も途中で帰ろうと言ったそうです。)、
時間があったら、遊びに行ってくださいね。