最後の日々を書こうと、母の姿を思い出す度に、涙が止まらなくなって書くことができません。
人が亡くなっていく姿を、ずっと見ているのは初めての経験でした。
母は常々、「病院で死にたい。」 と、言っていました。
自宅で、体が衰弱して立ちあがるのが難しくなった時、「お父さんが、『わしはお前の、しもの世話をせんにゃあいけんのか?』 て、言うんよ。 お父さんそういうのきらいだから。」 と、話した事があります。 父にそういうことをさせるのは、嫌だったのでしょう。
それは母自身が、自宅で祖母(父の母)を看取った経験からだと、思います。 亡くなるまで苦しんでいた祖母を、どうしてあげる事も出来なく、辛かったようです。
「病院だと、苦しい時にすぐに対応してもらえるから。」 と、安心していました。
そんな母なので、どうしても苦しい思いをさせたくない気持ちでした。
15日・水曜日夜
母は眠っている状態です。 痛み止めを連続して使用してもらっているので、あまり苦しんでいる様には見えません。
前日まで使っていた睡眠薬は、「眠りが深くなりすぎて、呼吸しなくなる時がある。 呼吸を忘れてしまうんです。」 という事。 (それって、死んじゃうこと?) 苦しそうでなければ、うとうとしている状態なので。 というお話で、睡眠薬は止めてもらいました。
16日・木曜日
あい変わらす、眠った様な状態。
でも、点滴は、もうありません。 一緒に使っていた薬も入らなくなったので、熱が出ました。 38.4度。 脇の下にアイスノンを入れてもらいました。
朝、しんどがって、すごく嫌がって、何日も洗っていなかった髪を、(母が抵抗できないのをいいことに) 洗ってもらいました。 「おむつって、いろいろ使えるんですよ。」 と、大きなおむつを2枚、髪の下に敷き、2人がかりできれいに洗ってくださいました。 さっぱりして良かった。 手も少し臭うので、タオルで拭きました。 血流が悪くなっているのか、手のひらに赤いぶちぶちの斑点が出来ていました。
口が渇くようなので、ちいさな医療用スポンジに水を含ませて、口の中を湿らせてあげようとすると、反射的にちゅうちゅう吸おうとします。 飲みこむと喉に詰まらせるので、ギュッとしぼって作業、水もあげれなくなりました。
姉に電話すると、忙しいので月曜日に来る、と言うので一喝! お兄さんに電話口でお願いして、すぐに新幹線に乗って来てくれる事になりました。 昼過ぎには到着、3人娘揃いました。
午後に、音楽の演奏ボランティアがありました。 広いサロンには、いくつかのベットが運ばれていました。 病室のドアを開けていると、優しい音色が聞こえてきたので、妹が 「聞こえる?」 と問いかけると、目でうなづきます。 「お母さん、聞こえてるんだよ!」
ボランティアの方が、紅茶を淹れて部屋まで運ばれ、「美人の3人姉妹に。」 と、小さな花を持ってきて下さいました。 たくさんのスタッフとボランティアの方々のおかげで、ここは不安が無くて、ゆっくりした時間を持つ事が出来ます。 ありがとうございます。
夜9時頃
母の部屋に泊っていたので、シャワーを浴びて眠ろうとしていました。
いつものように看護婦さんが、状態を見て体を動かす為に、お部屋にいらっしゃいました。
「脈が少し下がってきました。 あごが落ちてきて、足の裏の色に変化が見られます。 ひょっとしたら、明日の朝が迎えられないかもしれません。 お父さんに来てもらわれた方が、良いと思います。」
と言われ、急いで妹に電話しました。 田舎の父を、義弟が車で迎えに行ってくれました。
間もなく、市内にいる姉と妹と姪達が到着。 お姉さん、間に合って良かった。
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こんばんは。ドュルセさんのお母さんの最期の話を聞いて、私も父の最期を思い出しました。私も人が亡くなる様を見たのは初めてです。長沼さんと違って、私の父は急死だったので、危篤の知らせを受けて、病院についてから、四時間後に亡くなりました。人の命って儚いものなんだなぁというのが率直なきもちです。数時間前まで元気だった人が亡くなるなんて。父の急死の後から、明日何が起こるかわからないならば、今を大切に生きようと心から思うようになりました。
いつもお嬢さんと、楽しそうに買い物していただき、ありがとうございます。
柳沼さんのお父様が亡くなられた当時は、本当に辛そうにしてらっしゃたお気持ちが、今になって察しられる所です。
急死された様だったので、ショックも大きかったのではないでしょうか。
お言葉の様に、死を間近に受け止める事により、自分の生き方や感じ方の質も変った様に思います。
こんばんは。
私の母も三姉妹の真ん中でした。最期は、母の姉が埼玉より朝一の飛行機で駆けつけてきてくれました。母の妹は、北海道在住のため、下顎呼吸で意識のない母に携帯で最期のお話をしました。
母は五人兄弟でして、母の兄も朝一で駆けつけてくれ、最期は、兄弟、娘と息子、孫たち、父、仕事先のお世話になった人に囲まれて、旅立ちました。
私も、死に立ち会うという経験は初めてで、この経験で、何か考え方というか人生観がガラリと変わったように思います。
写真を見させていただいたとき、母を思い出しました。
辛いと思います。淋しい、悲しいと思います。
でも、お母様はいつも長沼さんの傍についてます。私も、そう思いながら毎日を生きています。
いつか、天寿を全うするとき、母に「絶対迎えに来てよ、その時は、あっちで一緒にお茶したりショッピングに行こうね」と、胸の内で話しかけています。
きっと大丈夫。
長文、駄文、すいません
雅子母さん、ありがとうございます。
父も、母に、
「みんな、待っとるけえの。」 と、声をかけていました。
1ヶ月経ちましたが、まだ、混乱した頭を普通に戻している状態で、なかなか整理がつきません。 時間が、少しづつ気持ちを落ち着かせてくれています。
ブログを最後まで書けるといいな。 と思っています。