5月14日火曜日は、朝から苦しそうだったので、薬で眠らせてもらいました。 口を、開けたまま眠っていました。 足や腿や手のむくみがひどくなってきて辛そうだったので、看護婦さんと相談して、点滴を途中で止めてもらいました。
午後、担当の看護婦さんより、「これからの過ごし方について」 という、冊子をいただき、妹と姪と3人でお話を聞きました。
・これからどうなるのでしょうか・苦しさは増すのでしょうか・つじつまが合わず、いつもと違う行動をとるとき・のどが「ゴロゴロ」するとき・点滴について考えるとき・・・の、ページがあり、くわしい状況と家族に出来る事が書いてありました。 優しい方で、言葉を慎重に選んで、ゆっくり説明していただき、こんな風になっていくのかな、と人ごとの様な気持ちでした。
夜は、痛み止めと睡眠薬を点滴してもらい、ゆっくり眠っていました。
15日水曜日は、点滴を減らしたので、小水は少なくなりましたが、むくみは少し減りました。
体の向きを変えると痛がって顔をしかめるので、痛がったら皮下注射してもらっていた痛み止めを、持続的に出る様にしてもらいました。
父が来て、母の手を取り、
「ちいそうなったのう。」
「もう、正気にはならんじゃろうのう。」
「そのほうが、ええ思う。」 と、ひとり、ちいさな声でぼそりぼそりと言いました。
「お浄土に行ったら、楽になれるって、お父さんが言うんよ。 って、話してたよ。」 と言うと、父は首をかしげて 「ちょっと、違うんじゃがのう。」 と、驚いた様子でした。 (・・・日蓮宗の信仰の厚い父は、法華経を信じる者には苦難が降りかかり、病気の苦しみも法華経を信仰する者に降りかかってくる苦難であり、それは苦しいと思わずに喜びと思わなければいけない。 と、言う話をしたらしいのですが、母は自分流に解釈していた様で、両親が仲良くいられた理由が、少し理解できる気がしました。)
夕方、2日ごとに刺し替えていた(とても痛そうにします。)、点滴用の注射針が入らなくなったので、バイパスを入れる方法もあります。 と言われるが(後で妹も同意してくれましたが)、点滴を止めてもらう事にしました。
ともかく負担になる事をしてあげたくない気持ちで、何かたんたんと答えたのですが、命を繋ぐものは、無くなってしまいました。
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こんばんは。
私の母もほぼ同じ経過を辿りました。
サイレースという睡眠薬❓で眠りだしたのが最期でした。
でも、唸る位痛がるのなら睡眠薬で眠ってもらったほうがいいな、と私が判断しました。
それが母の最期となってしまいました。
今になっては、あの判断は正しかったのかな❓と思う事があるけれど、あの状況ではそうせざるを得なかったよね。。と、自分自身に言い聞かせています。
いつも、お便りありがとうございます。 嬉しいです。
苦しんでいるのを見ているしかないのは、すごく辛いことだと思います。
少しでも、楽になる方法があるのなら、そうしてあげたい。 と思うのが普通ではないでしょうか。 その事に関しては、少しも疑った事はありません。
母も、苦しい時、「早く、楽にしてくれ。 死にたい。」 と、言っていました。
雅子母さんの判断は、立派だったと思います。