月曜日の朝。 (母のがん 24)

母の日のセールを終えて、5月13日月曜日の朝、病院を訪ねた時、実はもう、かなり悪い状態でした。

妹によると、前々日は、意識が朦朧とした中で緩和病棟に移動。 緩和病棟のモダンな部屋のインテリアに、西洋風な教会をイメージしたのか、「私は、教会なんかで死にとうない。 南妙法蓮華経で、死ぬんじゃけぇ。」 と、抵抗したそうです。 その日は、かなり悪く、「先生がライトで、瞳孔とか見られて、ドキドキした。」 と、話していました。

次の日、お見舞いに来て下さった親戚の方に、(入院して再々お見舞いに来て下さるその方は、声の高い方で、体調のすぐれない母は、長く話すと頭が痛いと、こぼした事があります。) 「帰ってもろうで下さい。」 と、大声で言ったとの事。 率直な感覚が、表に出たのだと思います。

移動後は、まったく食事も食べられなくなっていて、ほとんどまわりの事もわからなく、しゃべることもない様な状態だった様です。
月曜日の朝、担当の先生が見えられた時、妹が「お母さん、なにか言っておく事がある?」と、耳元で聞くと、 「お・れ・い」 と、弱い声で答えたそうで、妹も涙が出た様です。

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月曜日の朝。 (母のがん 24) への2件のコメント

  1. 柳沼 より:

    こんばんは。お久しぶりです。
    お母様のこと、大変でしたね。ブログを時々拝見しては、刻々と容態がかわっていく様に、胸が痛くなりました。
    明日は、父の初めての命日なので、お墓参りに行ってきます。私の父は、急死だったので、心の準備もなく、いまだに実感がないのです。でも、父が亡くなってから、夢に父がよく出てくるようになりました。しばらくは、ふと思いだし涙が止まらなくなることもしばしばでした。今は、残された母を支えながら、自分らしく生きていくことが父への供養になると思っています。長沼さんもしばらくは、心身共に大変だと思いますが、どうか体に気をつけて下さいね。
    月並みではありますが、お母様のご冥福を心よりお悔やみ申し上げます。

    • Dulce長沼 より:

      もう、1年が経ってしまったのですね。
      急死だったそうですが、たいへんだったと、いまさらながら推察されます。
      ばたばたさせてしまって、本当に申し訳ありませんでした。

      私も、柳沼さん自身が、元気で、お嬢さんを立派に育てていらっしゃる事が、お父様への、いちばんのご供養だと思います。

      お店にも、(気分転換になるようでしたら、)気楽に遊びに来て下さいね。 
      親子3人の、絶妙の会話を、結構楽しみにしています。 お姉ちゃんは、大きくなったから、忙しいかな。

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