一気に衰弱・・・。 新聞のちいさな記事。(母のがん8)

実家の隣は、昔、くすり屋さんでした。 (今は、空き家になっています。)
食用油も売っていて、一升瓶を持って買いに行くのが楽しみでした。 おばさんが、一斗缶からひしゃくですくった油を、高い場所からスーーっと瓶に入れてくれるのが面白かったからです。 ニワトリをたくさん飼っていて、家の裏庭に入って来る雄鳥に、つつかれるのが怖かったけど、暗い蔵の中には、ヒヨコが何百羽もいて、ピヨピヨピヨピヨ鳴いていて可愛かった。
そんなお隣の薬屋さんは、父のおじさんがやっていて、その息子(父のいとこ)は、昨年亡くなったのですが、膵臓癌で、見つかってから1ヶ月だったそうです。

膵臓癌とわかってから、お隣の記憶が新しかったため、両親はたいへんショックを受けていました。

帰ってきた次の朝、7時に起きると、母は普通に起きて、朝食を作ってくれていました。 
父の分は、食パン1枚とおもち1個。 きな粉餅にします。 温めた牛乳1杯。
母の分は、食パン半枚と、温めた牛乳半杯に珈琲を少し入れます。 他にフルーツやヨーグルトを食べます。 私の分のパンも焼いて、3人で食べました。

母は、食べてから、すぐにこたつに横になって、「しんどいから、横になると楽なん。」と、言っていました。 私もこたつで母と話をしながら、お店にお客さんが来ると出て行って、応対していました。 母は風邪気味で寝ています。 と、話しました。 でも、分からない事はてきぱきと、こたつから指示してくれていました。 お店の事になると、気持がしゃんとする様でした。

夜は、冷蔵庫にあったもので、適当に夕食を作り、食べました。 母はほんの少し、食べました。 
もっと、料理が上手だったら良かったのに・・・。 もっと、美味しかったら、少しでも多く食べてもらえたかもしれないのに。 そう思うと、忙しさにかまけて、外食と冷食ばかりだった自分が悲しくなりました。

次の日の朝、母はお蒲団から出てきませんでした。
ストーブを点けて、お茶とお水を仏様にあげてから、いつもの朝食を作ると、ようやく母が起きてきて、パンの半分の半分とヨーグルトを食べました。 体重が39kgになった。と、話していました。
昨日と同じ様に、こたつに寝ていました。 私は母のお店をして、昼食と夕食を作り、母は少しだけ食べました。 胸の所に、ぐりぐりがあって、痛い。 と、言っていました。

次の朝起きると、母が布団の中から、「おとうさんと喧嘩した。 死ぬ死ぬと、あんまり言って欲しくない。」と、私に言います。 父は 「現実を直視せんといけんけぇ。」 「もう、わかってます。」と、言い合っています。 私は父に、「いい薬も、あるらしいし、悪い言葉で、気持が弱って病気が悪くなるから、そんな風に言うのは、止めて。」 とたのむと、父は黙っていました。
実際、一日一日、一気に衰弱して、食べれなくて、つらそうになっていくのが、わかる日々でしたが、どうしようもありませんでした。

父は毎日「中国新聞」を、虫眼鏡を使って隅々まで読みます。 夜、母がこの前みてくださった、県病院の先生が、新聞に載ってたのを、父が見つけた。 と、言います。 その小さな記事を見ると、確かにその先生が、癌の新薬の公演をして、500人の人が集まった。 と、載っています。 
「お母さん、良かったね。 きっと、立派な先生なんだよ。 良い薬もあるみたいだし、良くなるよ。」 と、励ますと、なんか、望みが沸いた様な気がしました。

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