2月20日(火曜日)飛行機に乗って、羽田から広島に。 空港からバスで市内広島駅に向かいます。
広島市内の様子が、久しぶりでよくわからなく、いろんな人に聞きながら、宇品行きの路面電車に乗りました。「県病院前」で降りて、大きな荷物をガラガラ引きながら、南館3階の 「臨床腫瘍科」 に。 受付の方が荷物預かってくださいました。
しばらくすると、母と妹が検査が終わってやって来ました。 母はかなり痩せているものの、しっかりした足取りで、元気そうな様子。 少し、ほっとしました。
昨年、帰宅した折、大腸がんを手術した父に、「いつ死んでもいい。 と、口癖の様に言っていたのに、手術したのはどうしてか?」 と、聞いたことがありました。 父は、「がんと聞いた時に、わしはすごい 生きたい! と、思ったんだ。」と、神妙に話していました。 恐がりの父は、怖かったのもあると思います。
その後、何かの折りにテレビを見ていたところ、ホームに入居した寝たきりのおじいさんに 「末期の医療は、望まれますか?」との質問で、「出来る限りの延命をお願いします。」と、答えていたシーンは、人の気持ちが素直に表れている様で、印象的でした。
普段は考えたこともなかったのですが、たぶん、「生きたい。」 という気持ちは、生きている限り、生きていく上の基本的な支えなのではないのか、と感じました。
診察室に呼ばれると、先生が、CTスキャンに映ったがんの陰を見ながら、
「抗がん剤と、言えばどんな事を、思い浮かべるか?」と、母に質問されました。
母は、「髪が無くなったり、気持ちが悪くなったり、頭が痛かったり・・・。」と、答えた所、
「今は、いい薬があるから、そんなことは無い。 かなり多くの人に、良い結果が出ているから、試してみてはどうか?」と、治療を進められました。
どの位の確率か? の質問には、30%位の患者さんのがんが、小さくなっている。 と、言うことでした。 小さくなることで、楽になったり、余命3~4ヶ月が1ヶ月くらい伸びるかもしれん。 と、言われました。
母は、(がんなのは聞いていたようですが、)末期がんなのを知らなかった様で、余命を言われたことに、かなりショックを受けていた様子で、私もドキドキしました。
先生に「やるか?」と、聞かれたので、私は「お母さん、やりたいんだったら、試してみれば。
嫌なら止めればいいんだし。」と、声をかけ、母は 「お願いします。」と、頼みました。
ブログ村ランキングに参加ちうです。
応援ポチッを、お願いします。
にほんブログ村
突然のコメ、失礼します。ネットで徘徊中に、吉田病院など、身近な病院名が出てきたので、つい・・・
もし、お母様が、自宅療養を望まれ、ある程度の、家族のサポートがあるのであれば、ご自宅での、緩和ケアの選択肢もあると思いますよ。
御親切にメールいただき、ありがとうございます。
このブログを書いた後、急速に病状が悪化し、自宅療養していたのですが、一昨日緊急入院になりました。
痛みや吐き気がひどく、検査の結果、かなり急速に悪化する悪性の癌でした。
私は昨日いったん埼玉に戻り、仕事の整理をした後、また来週広島に向かう予定です。
近くの方に、見守っていただき、心強く感じます。 ありがとうございます。
ご心配ですね。
ご家族も、気苦労や、看病で体調を崩されないようにして下さいね。
お母様が、穏やかな日々を過ごされることをお祈りします。